席替えしてから、一週間―――


平和で楽しい私の学園生活は、地獄と化していた。





















窓側の一番後ろの席。

本来ベストポジションとして君臨するこの席は、今の私にとっては最悪の席だった。

隣にいる人のせいで。


「ブン太く〜ん!はい、調理実習で作ったケーキ」

「あたしのも受け取って〜」

「私も〜」

「お、サンキュー☆」


(うるさい……)


そんな心の抗議も虚しく、右隣の隣人―――丸井ブン太とその取り巻きは、がやがやと喧しかった。

トイレにでも非難するかと思ったが、なんとか踏み止まる。

一度席を外したが最後、周りの女に席をぶん盗られチャイムが鳴っても席に着けない状況になるのだ。

席替えしてから早一週間、丸井ブン太の左隣の席に座るは、休み時間ごとのこの喧騒に耐えていた。

立海大付属中の丸井ブン太とは、全国区のテニス部レギュラーで、当然女子からの人気もかなり高い。

しかも、欠食児童のごとく常に食べ物を求めているので、女子からの差し入れも来るもの拒まず。

いや、むしろ大歓迎で受け取ってくれる。

なので、ブン太のファンである少女たちは休み時間のたびに集団でブン太を取り囲むのだ。

特にテニス部のファンというワケでもなく、静かな時間を過ごしたいだけなにはある意味、一人我慢大会とも言える状況かもしれない。

ブン太一人に罪は無いので、文句を言いたくても言えない状態が続いていた。

むしろ、文句を言ったが最後、女子たちの総攻撃に晒される事は目に見えている。

『丸井ブン太の隣の席』という、ブン太ファンにとっては垂涎のポジションにいるは、その事を嫌でも認識していた。

は重い重い溜息を吐いた。

次の席替えのある1ヶ月間、我慢大会は続く事になる。

それに、敵は取り巻きの女子たちだけでは無かった。

本当の敵は、丸井ブン太本人だとは思う。


キーんコーンカーンコーン……


「あ、チャイム」

「じゃーね、ブン太くんvまた来るからね〜」

「おう、待ってるぜぃ」


(また来るのかよ…)


やっと地獄の休み時間が終わり、周りできゃいきゃいと騒いでいた少女たちが散って行く。

チャイムが鳴り終わる頃には、先生も教室に入ってきていた。

火曜日4時間目のこの時間は、体格も性格も授業も緩い、竹中先生の社会だ。

ここからが、にとって本当の地獄が始まるのだ。


「―――ちょっと、丸井くん、先生に見つかるよっ」

「んぁ?いいだろぃ別に、腹減ってんだから…」


ぶん殴りたくなるのを、必死に抑える

対する丸井ブン太くんは、先程女子に差し入れされたケーキを美味しそうに頬張っている。


(腹が減ってるのは、こっちだって同じなんだよ…!)


そう叫びそうになるのを、歯を食いしばって耐える。

ついでに、鳴りそうになる腹の虫も必死に抑えた。

ちょうど昼食前のこの時間。

丸井ブン太は先生から見えない後ろの席なのを良いことに、女子からの差し入れをがっつりと食べるのだ。

この後、昼は昼でパンと弁当を食べるのだから、彼の胃袋は底が知れない。

はいたって普通の胃袋だが、腹が減るのは皆同じ。

美味しそうに食べているのを横目におあずけをくらっているのもムカつくが、美味しそうな匂いまで漂ってきたら、更にムカつく。

こっちも早弁をすれば良いのかもしれないが、意外に小心者で真面目なのには、それが出来なかった。

それに、運動部に所属しているわけでもないのに早弁なんて―――食い意地が張っているように見えるので、乙女としてNGもいい所だ。


(畜生、丸井ブン太めっ…!)


しっかりきっちり丸井ブン太に逆恨みしている分、食い意地が張っている事に変わりがないのだが、は気づかない。

気づいても、見事にスルーするだろう。


(嗚呼、今日も美味しそうだな……)


竹中先生のゆる〜い説明をBGMに、ブン太が貪るケーキに視線を送る。

口の中で涎がいっぱいになるが、自分ではもう止められない。

調理実習で作ったとはいえ、好きな人のために気合が入ったケーキは、滅茶苦茶美味しそうだった。


ぐぅ〜きゅるるるる……


(げっ?!)


ケーキに気を取られ過ぎたのがマズかった。

の腹から、悲しそうな訴えが流れ出た。


(き、聞こえてない……よね?)


幸いそこまで大きい音では無かった。

恐る恐る隣を見ると………


ばっちり、隣人と目があった。


(さ、最悪だ…)


恨めしい相手(しかも男子)に腹の虫をばっちり聞かれるなんて、最悪だ。

こんな事なら朝ご飯をもっと腹いっぱい食べるべきだったと、は心底後悔した。


「……腹減ってんの?」

「………うん」


ホント、もう…勘弁して下さい。

そう言って土下座したくなるほど、恥ずかしい。

そんなの内心も気づかず、自分の手元にあるケーキをじっと見たブン太は更に余計な言葉を投げかけてくれた。


「………食う?」

「…え?い、いいよ!」


その申し出は非常に魅力的だが、他人の乙女の魂込め捲くりなケーキなんて、そんな気安く食べられるわけが無い。

むしろ、なんの関係も無い自分などが食べたなどと知れたら、どんな呪いを受けるか解かったもんじゃない。


「いいから、食えよ」

「いいって、本当に遠慮します!」


必死で断るに、ブン太も意地になったのか引こうとしない。


「食えって!」

「だから、いらないって!」


エンドレスで続く小声でのやり取りに、いい加減先生に気づかれるとハラハラしながらは断り続ける。

だが、とうとうケーキをブン太に無理矢理握らされてしまった。


「ほら、見つかる前に早く食っちまえって」

「で、でも…」


尚も躊躇するに、ブン太は止めの一発を喰らわせた。


「別に貸し借り無しだから気にすんな。次の調理実習の時、から直接回収するからな」


つまり、次の調理実習の時に、の作るケーキはブン太の胃袋に全て収まるという事らしい。

片目を瞑って(いわゆるウィンク)バンッという銃を撃つような仕草までしてのその宣言。

それに、は不覚にも、心臓を撃ち抜かれた。

無論本物の銃でなどではない。

恋のヒットマンが撃つ、ゴルゴ並みの正確無比なその射撃に、ズキューンと言う効果音まで付いて殺られてしまったのだ。

その瞬間、は世の乙女たちが何故こうも丸井ブン太に餌付けをするのか、全て理解した。

この笑顔に、皆殺られたのだ。

いよいよ覚悟を決めたは、手の中にあるケーキを作った人にこっそりと念を送っておいた。


(ケーキ作った人、ごめんなさいそしてありがとう)

「……いただきます」

「おう、食えぃ」


口に含んだ瞬間、程よい甘さが広がった。


(滅茶苦茶、美味しい!!!)


そしては、何故かブン太に見守られながら、ケーキを完食した。

完食してしまった事で、これからのの運命も決まってしまった。


(お菓子作りの本買わなきゃ…!)


今食べたケーキと同等……いや、できればそれ以上のモノを調理実習の時に作らなければ、申し訳ない。

失敗は、許されないだろう。


「調理実習、忘れるなよ」

「う、うん。解かった」

「楽しみにしてるぜぃ」


余計なプレッシャーまで与えて下さった隣人に、は内心毒づいた。


(この、ヒットマンが…!)





可愛いそしてカッコ良い仕草1つでの心臓をぶち抜いた隣のヒットマンに、ケーキを献上する日はそう遠くない。
















+++あとがき+++
ブン太にバンッと銃で撃つ仕草されたら、確実に(恋の意味で)殺られると思います。
でも跡部様にやられたら、笑い死にすると思います。
両方素でやってくれそうで恐いな…。

こんな駄文をここまで読んで頂き、ありがとうございました!